総選挙10~置き去りになった教育

私は、反安倍でも親小池でもなく、

国政を考えるときは、国家としての使命をどう考えているか

という点において、政党や候補者を判断します。

今回の選挙で、私が日ごろから最も重要視する政策の一つである

「教育」についての公約が、

自民党も希望の党も、その他の党も

お粗末極まりなく、非常に残念です。

教育が争点にならないなんて、

この国は一体大丈夫か、と思います。

自民党が政権を奪還した2012年の総選挙の公約(Jファイル2012)には、

経済に次ぐ2番目に「教育再生」を掲げ、

「6・3・3・4制の見直し」「大学の9月入学」「政界のリーダーなる日本人を育成できる、力ある教師を要請するための教師インターンシップの導入」「読解力、理数系教育の強化」「博士課程学生に対する支援強化」などなど、数十本の政策が並べられていました。

ところが、政権奪還から5年も経った今回の公約には、

教師の負担軽減のための「チーム学校」
「家庭教育支援法」の制定
「リカレント教育」
「文化庁の移転」
などを含む、8本の政策しかありません。しかも中心となる政策は無償化、

つまり、教育の中身ではなく、費用についての公約です。

学制の見直し、教師の教育力の向上、読解力の強化などはどうなったのでしょうか。

費用の支援も、子育て世代にとっては拒否するものではありませんが、

幼児教育にせよ、高等教育にせよ、無償化して行う教育の中身は何なのか、

どんな人間を育てるために、どんな日本人を育てるために行う教育なのか、

という本質が全くないのです。

それは希望の党も同じ。

子供たちを取り巻く環境は決して万全ではなく、

特に学力の低下は著しいと思っています。

基礎学力、基礎基本も身についていない大学生も多い。

実際、推進やAOで入学してくる大学生は、

入学前に補習を行うほどです。

子供の成長の早期化を考えると、9年間の義務教育の中に、

12歳で小学校から中学校へ学校種が変わることが、今の子供たちの実態に合っているのか、

学校で行う教育がどんどん増えていく中で、家庭や地域との役割分担はできないのか、

などなど、考えるべきこと、すぐにでもやらなければならないことは山ほどあるのです。

子供の6人に一人が貧困とも言われており、

そのためにも無償化という施策が必要という考えもわかります。

でも、それとは別に、教育の中身の政策を打ち出してもらわないと困るのです。

公約にしない、ということは、関心がない、

この国の政治家には、教育なんてどうでもいいものなんだ、

私にはそう見えてなりません。


総選挙9~希望、失速?!

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希望の党が失速したと言われています。

原因は3つあると考えられます。

一つ目は、まず候補者。全部ではありません。

前職、元職、また新人でも、最低でも数か月は準備してきた人ならまだしも、

公示数日前に出馬を決めたなどの俄か仕立ての候補者に、

国政を託すのは難しいというのが実感です。

自分の選挙区の希望の党の候補者が誰なのか、

選挙も終盤に入るこの時期でも、わからない選挙民もいるほどです。

「選択肢」を作る、つまり候補者がいなければ、希望の党に入れたくても入れられないということから、

候補者の数が必要だったことはわかりますが、それにしても・・・。

二つ目は政策の幼稚さ。

「9つの公約」はまだよいのですが、

「希望への道しるべ、12のゼロ」は国政選挙で打ち出すものとしてはあまりに「小さい」。

犬猫のペット殺処分ゼロがあって、児童虐待ゼロがなし。

花粉症ゼロ、満員電車ゼロ、電柱ゼロもいいけれど、どうも都知事や都議会の選挙の公約にみえてしまいます。

満員電車ゼロにするためには、東京一極集中の是正や、

花粉症ゼロを目指すのなら、杉の伐採、そして国産木材の産業の活性化、林業を衰退させないなどの施策が必要で、

まさに国政の課題ではあるのですが、

このような説明なしに、そこまで考えられる有権者が全国どれだけいるだろうかという疑問はぬぐえません。

これでは、小学生の「今学期の目標」。

「忘れ物ゼロ」「遅刻ゼロ」「宿題忘れゼロ」にしか私には見えないのです。

安倍一強との対決なら、何の「国難突破」にならない少子化対策より、

子供の学力向上や、大学の国際競争力強化など、徹底して教育政策を出すべきでした。

少子化なんてどんな手を打ったって止められないのですから、

人口減を前提とした社会保障制度の抜本的な改革や

義務教育を中心とした教育改革の徹底によって、

「数より質」の勝負にでる、そのような政策の大転換が必要なのです。

(つまり自民党の政策も、この点においては相当ひどいのです。それはまた改めて)

希望の失速の三つ目は、

選挙についての報道では公正さを欠くのではないかと思うほどの

「小池ネガティブキャンペーン」。

「排除発言」を引き合いに、一気に小池氏の人間性を叩き始めたことには

私は違和感を覚えました。

しかも、小池氏は「排除」と言ってしまったあとに、

「というか、取捨・・・取捨じゃなくて、えー、絞らせていただくということであります。」

と言い換えているのです。

またそのあと、その理由として、

「安全保障、憲法観という根幹のところで、一致していくことが政党を構成する構成員として

必要最低限のことではないかと思っていますので・・・」

と至極全うなことを言っています。

大学に入るのにだって、会社に入るのにだって、

もっと言うのなら、結婚相手を決めるのだって、「絞って」います。

人生、絞り、絞られの繰り返しです。

民進党は、考えが正反対の人たちが、考えが違うとわかりながら、

いつまでたっても、自ら選別するという決断ができなかったのです。

排除発言を批判する人たちだって、どれだけ今まで

「なぜ、早く別れないのか」とさんざん批判してきた人も多かった。

それを「排除発言」を「いい批判の種ができた」と言わんばかりに

一斉攻撃を掛ける。

そして、世の男性たちも、一斉に小池批判に乗じる。

変えたくない、特に、女性になんて変えられたくない、と思っている「おっさん」たちが

小池都知事誕生以来、批判しようにも批判できない雰囲気が続いてきたけれど、

ここで一気に息を吹き返してきた・・

と私は見ています。


世の中に対して発言できる影響力のある人はまだまだ男性が多い中で、

これだけ「小池ネガティブキャンペーン」をやれば、

失速して当たり前、とさえ思います。

冷静に考えれば、それだけ「変える」ということに戸惑う人、

慎重な人が多いということでもあり、

その人たちに納得してもらう方法で改革を進めなければ、

足元をすくわれ、結局、正しいことも、いいことも実現できない、

という教訓にもなっているように思います。

一方、「本当に小池さんがやろうとしていることはいけないの?」

「変えなくていいの?」

と疑問・不安に思う女性たちも多いのです。

「自民党には少しは反省してもらえるくらいの結果が必要」

と思っている人も多いのです。

変えなくていいのなら、変えなくていい理由、

小池さんがだめなら、そのダメな理由を感情論ではなく

論理的に示していくべきです。






細川珠生 ブログ


by tamao-hosokawa